東京民医連

輝け看護!

みんいれんTOKYO(機関紙)の「輝け看護!」コーナーから

あなたは最期まで偉大な看護師でした


 「あの窓から見た桜がきれいで…涙がでたの。もう思い残すことはないね」「私がやってきたことは間違いじゃなかったと思えたのよ」Aさんが長年働いていた病院に腰椎圧迫骨折で入院した時、病室の窓から見た桜を見て涙が出たことを話してくれたのは、Aさんの訪問を開始したおよそ2年前のことです。
 訪問開始当初からAさんは「もう入院はしたくない。点滴も胃瘻もしません。自然な形で最期を迎えたい」とはっきりと意思表示しました。いつも温かい笑顔で私たちを迎え、笑顔を絶やさず、折に触れ看護師の仕事にプライドを持っていることを話しました。私たちは少しの緊張感を持ち話に耳を傾けました。
 看護学生が同行した時には「いい仕事を選んだよね。私、一度も看護師を辞めたいと思ったことがないのよ」と子どもを背中に背負いながら仕事をしていたころや、満州から引き上げたころの話をしてくれました。その姿には「後輩を育てたい」「看護のすばらしさを伝えたい」という熱い想いを感じました。
 月2回の状態観察から訪問を開始しましたが、心疾患の悪化にともない訪問回数を調整し、訪問内容は、Aさんの意思を最優先に話し合いながら決めました。
 「どんなに辛くても転倒してでも、排泄だけは人の世話になりたくない」と亡くなる2日前までトイレに行き、「褥瘡には絶対にならない」と強い思いで褥瘡をつくらず過ごしました。食事もベッドではなく出来るだけ息子さんとテーブルで召し上がりました。
 遺影用の写真や最期に着る服はAさんの意思で決めており、意思を貫く姿に母としての優しさと強さを感じました。担当看護師の訪問中、家族に見守られながら眠るように息を引き取りました。Aさんは最期まで私たちの大先輩で素敵な女性であり、偉大な看護師でした。
(綾瀬訪問看護ステーション・2023年12月号掲載)