「ただ死ぬための場所さえあればと 思ってここに来た」
「ただ死ぬための場所さえあればと 思ってここに来た」
Aさん(女性)が医療相談会に現れたのは、寒さ厳しい1月中旬のことでした。この相談会では月1回、隅田公園で野宿者や生活困窮者を対象に、無料の健康・生活相談、生活保護の申請同行などを医療従事者はじめ多くのボランティアが協力して行っています。当院も要医療の方を無低で診療するなど後方支援を行っています。
Aさんは60歳くらいかと思われ、衣服や手足は汚れ、動くと激しい息切れと苦しそうな咳をしていました。「所持金が尽きて最後のお金を使ってここに来た。初めて野宿をした。山谷は生きづらい人が集まっているところと聞いた。ここで死にたいと思って来た」と話しました。医師の診断は乳ガン末期。左乳房は自壊して大きく膨れ上がり、多量の排膿出血と痛みがあり肺転移もありそうでした。
当面の居場所確保のため、連携している地域NPOのシェルターを短期間の約束で借り、入居していただきました。翌日から無低診の往診で痛み止めや軟膏類を処方しながら、入院治療と生保申請を何度もおすすめしました。事情を話したところ、法人内の東京健生病院が入院受け入れを迅速に対応してくれました。支援者の方々もそれぞれ訪問して食材や着替えなどをお届けし、説明し続けました。
しかし、どうしてもAさんは入院も生保申請も受け入れません。よほど複雑な社会背景を抱えているのか本名や年齢さえ教えていただけませんでした。「余命が短いことはわかっている。ただ死ぬための場所さえあればと思ってネットカフェで調べてここに来た」と。結果的にこちらで用意したアパートへは移らず、5日後には「あてがあるから」と去っていきました。どうすることも出来ない無力さを痛感しながら、「今の日本には住所も身寄りもない方の、ただ安らかに死にたいという希望により沿う場所はないのでしょうか」という主治医の言葉が強く心に残った事例でした。
(橋場診療所・2023年5月号掲載)