東京民医連

輝け看護!

みんいれんTOKYO(機関紙)の「輝け看護!」コーナーから

死ぬときは自分のベッドで…

 Iさんは40歳頃事故で頚椎損傷となり、両下肢麻痺と膀胱直腸障害を合併、車椅子生活となった。子どもなしで離婚。妹宅の離れにバリアフリーの部屋を作り生活していた。
 ケアマネジャーの紹介で7月より訪問診療開始。当初より仙骨部に褥瘡形成あり、悪化防止のため介護ベッドの利用を勧めるが、長年愛用してきたベッドを変えることに頑として受け容れ拒否。マットだけでも色々試してもらうが、どれも拒否。全身状態も不良のため検査入院を勧めるが、死んでも嫌だと拒否され在宅でできる対処療法をやってきた。
 褥瘡は仙骨部以外に広がり両踵・下腿と進み、特に左下肢の潰瘍・壊死がひどくなっていった。訪問看護ステーションも毎日対応するが悪化する一方で、在宅での限界を本人に伝え入院治療を勧めたが、「一歩でも家から離れたくない、死ぬ覚悟はある」と平行線。医師も私もここまで意志が固いのだから本人の意志を尊重し在宅で看ようと腹をきめた。
 5日後、毎日入るヘルパーが説得。「2週間なら入院してもいい」と言っていると連絡を受け翌日入院。入院時は、菌血症・貧血・血尿状態で輸血施行。その後左下肢切断術がなされた。全身状態安定せず、食欲もないままで一時は施設入所も考えていたが、本人から「手術は終わったので、自宅に帰りたい。死ぬなら自分のベッドで死にたい」と訴えがあった。
 低栄養状態は変わらず仙骨部の褥瘡の形成術も検討されたが、これ以上の治療は拒否。退院時カンファレンスで在宅での介護用ベッド・エアマットの使用をお願いしたが、最後まで愛用ベッドについては譲らず、この時も入院を説得したヘルパーよりまたも説得され、ベッドとマットを入れ無事退院となった。
 退院後、食欲も戻りつつある。介護用ベッドは愛用ベッドより狭いが、早く回復したい一心で我慢されている。ベッドサイドには、いつでも移れるようマットが立てかけてある。
 「まだ、生きられるね」と嬉しそうな表情である。一日も早く愛用ベッドに移れる日がくることを願っている。(農大通り診療所・2014年10月号掲載)