東京民医連

輝け看護!

みんいれんTOKYO(機関紙)の「輝け看護!」コーナーから

患者の思い つなげる看護

 法人内異動でステーションに来て4年。病院で感じていた在宅、在宅から見える施設。色々な側面があることを日々感じながらの仕事です。
 K氏は70代の男性。妻との二人暮らしで、娘さんは家を出ています。がんを指摘され大学病院に入院。抗癌剤と放射線治療でめっきり体力が落ち、本人は 「とにかく散々だった。辛かった。もう二度とやりたくない」と。しかし医師から「もうやめよう」と言われていないから緩和ケアへの切り替えを言い出せずに いました。
 元々のプライドの高さと、恐らく末期、と思われる現実をきちんと伝えてもらえない不安。仮に伝えられたとしても受け止める自信がないという思いを、様々な言葉や表現から感じます。
 医師は「本人が望めば、いつでも病状はお話します」と言いますが、K氏の個性を考えると、そういう場面で素直に自分の疑問や思いを伝えられるとは思えま せんでした。案の定、診察ではいつも「痛みは何とかなっています」「大丈夫です」という返事とのこと。
 痛み止めの変更を検討してほしい状態でも、本人は「先生が何も言わないんだからいいんだ」と言います。亭主関白的で「余計なことを言うな」と妻を怒った りします。こういう時、病院なら継続した告知後のフォローができる。私達も直接医師と話ができる。本人の思いを医師の顔を見て伝えられるのに…と思いま す。ケアマネの協力を得て何とか在宅医につなげることができ、K氏は在宅で妻と娘に囲まれて永眠されました。「訪看さんのお陰です」と妻は言ってくれまし たが、病院外来と在宅の連携には看護が見えません(ここは大学病院でしたが)。
 年々、細かな調整に多くのエネルギーを必要とする事例が持ち込まれることが増えています。在宅医に無事つながったのも連携先が法人内医療機関だったから だと思います。穏やかな看取りに導けたことはよかったけれど、「訪看のお陰」だけで済ませては、いけない複雑な思いが残ります。
(練馬訪問看護ステーション・2011年7月号掲載)