東京民医連

輝け看護!

みんいれんTOKYO(機関紙)の「輝け看護!」コーナーから

ハーレーおじさんは、今?

 2009年6月、氏は妻と初めて受診。「大学病院で治療していたが、通えなくなったので往診をお願いしたい」。浮腫がひどく、腹水でパンパン。肝臓がんで、化学療法したが効果なく、“末期がん”と本人も妻も理解している。
 介護保険の申請をしてもらい、7月7日から、ターミナル状態で往診開始。家はかわいい、綺麗な2階建て。1階にはハーレーダビットソンがドカンと占拠し ている。2階が生活の場。息子さんに買ってもらったベッドで休み、やっとトイレに通っている。多種多様の薬剤を一包化し、カレンダー化してもらう。週末、 ハーレー仲間と軽井沢で集まると言っていたが…。
 7月下旬、深夜にトイレで転倒し、口腔内出血あり、24時間携帯に相談が入った。圧迫止血し、その後はよく眠れた様子。痛みより、身の置き所がないこと の苦痛が大きい。麻薬を開始する。仲間と高尾山に行く予定だった。黄疸が急激に進行し状態が悪化。残りの時間はそう長くない。往診やサービスを増やして対 応した。ケアマネージャーが同席し、往診週2回、訪問看護週2回、ポータブルトイレを置く。身の置き所のない状態がさらに強まる。
 薬の効果で食欲が少し出た。妻は疲労困憊。「目が離せない。買い物にも行けない。病院に入院していた方が楽。いつまでこの状態が続くのか」不安と不満を 投げかける。夜間ヘルパーが入る。8月訪問入浴開始。町田の息子は毎土曜日来る。エアマットを入れる。昼夜逆転気味。妻に二人の出会いや、「夫は、島で磯 釣りが好き」と聞き、思い出話に涙する。
 8月中旬、せん妄で立ちあがったり座ったり落ち着かず。鎮静剤注射。黄疸強く、妻から24時間対応の中で切れ目なく電話。訪問看護ステーションより、吐血、意識レベル下がったと連絡入る。肝性昏睡状態、あと数日と妻に話す。
 8月19日午後永眠。今年2月、主治医とお焼香に訪問した。「夫は幸せだった。こうするって決めたことは、押し切ってきた人だから」。2階にはヘルメッ トとハーレーの模型、仲間との写真がいっぱい。まだ、自分が何をしたらいいのかわからない。月2回大正琴と今の気持ちを文章に書いて発散させている。
 何かあれば、いつでも診療所に来て下さいと伝えて帰る。ふっと今、仲間と共に、さっそうとハーレーに乗り、高尾山に登っている姿が浮かんだ。笑顔の隣に奥さんを乗せて。
(せいきょう診療所・2010年4月号掲載)