「これからもよろしくね!」
93歳Mさんは、平成15年2月に、大腿骨頚部骨折で入院しました。入院環境になじめなかったMさんは眠れず、食欲もなくなり、見かねた娘さんが2週間 たらずで自宅に引き取ってしまいました。この日から、娘さんは要介護4の母を一人で介護することになりました。訪問すると、いつも娘さんは台所で洗い物を していて、私たちのあいさつにも返事がなく、不機嫌です。Mさんが何かの拍子に「痛い!」と言おうものなら台所から飛んできて、「何されたの! ひどいわ ね!」と大げさにまくしたて、微熱が出たり、咳をしたりすると、「どうするのよ! こうならないように、来てもらっているんでしょ!」と言われます。気の 抜けない神経を使う訪問が続きました。
また、母がかわいそうだからと、デイサービスやショートスティも利用しません。肺炎で入院すると、毎晩のように病院に対する不満の電話が続きます。違う んじゃないかと思っても、反論せず、じっと悔しく悲しい思いをこらえながら聞いていました。「頑張っていますね。すごいですね」と常に労をねぎらい、励ま してきました。
3年ほど前、娘さんは区のシルバーサークルに入りました。このころからMさんの昼夜逆転が始まり、娘さんも朝まで眠れない日もありました。そんな日でも サークルに通いました。サークルの中に、同じように介護しているお友達もできました。今年に入り、Mさんはポート(注)での輸液管理となり、吸引も必要で 娘さんも思うように外出できない日が続きました。
最近になってようやくMさんも落ち着き、ヘルパーさんの留守番で、娘さんも前よりもっと外出できるようになりました。今は以前とは違い笑顔でいきいきと しています。先日、「前はお母さんを一人でかかえて、自分だけが大変なような気がして、何も見えなかったの。みんなに支えてもらってここまできたのよ。こ れからもよろしくね!」と話してくださいました。私たちが辛く耐えた日々は傾聴の時期で、それは確かに娘さんの私たちへの信頼が着実に積み重なっていた時 期でもありました。「今度、深大寺に行くわよ」と言うその笑顔は、自分の人生をお母さんとともに生きている満足感であふれていました。
(ゆたか訪問看護ステーション・2009年11月号掲載)
ポート:在宅用に作られた、中心静脈栄養を行うために皮下に埋め込まれた器具