能登半島輪島の現在とこれから
能登半島輪島の現在とこれから
地域の現状と私たちにできること
能登半島地震から8ヶ月が経って
石川勤労者医療協会 健康推進部主任 水上 幸夫
震災発生後、2月26日から6月26日まで東京民医連をはじめ300人を超える全国の民医連の仲間の支援がありました。あらためて心より感謝申し上げます。
私は、被災地の一つである輪島市にある輪島診療所に設置された現地の支援センターのコーディネーターとして皆様の訪問及び生活支援行動等の調整をさせていただきました。1月から奥能登(輪島市、珠洲市、能登町、穴水町)、約3000件の訪問行動に取り組みました。死者数は、災害関連死が112人に増え合計341人(8月10日時点)。マスコミで話題になった輪島朝市の大火の跡も公費解体が進み、約6割の瓦礫が撤去されています。基幹道路沿の倒壊家屋もほぼ解体撤去されつつあります。
しかし、隣の珠洲市では、いまだに自衛隊が入浴支援、他県の警察車両(奥能登全域)が巡回、空家盗難事件も発生しています。自衛隊、他県警察応援は、東日本大震災を抜き過去最長記録が継続しています。この点からも今回の地震が特殊かつ未曾有なものといえます。
今はフェーズとしては2期から3期に入ろうとしています。二次避難していた方、集落避難していた会員が各自治体が建設していた仮設住宅に入居されつつあります。当初8月末予定が11月完了にずれ込むケースも出てきています。仮設住宅への入居に際して「部屋が狭すぎて暮らせない」「物音で近所トラブルが発生。ストレスで2年間も住めない」といった声があります。また高台やスーパー、病院などから離れて建設されているため、交通手段の課題があります。被災者に対する人道支援の最低基準を示す国際基準「スフィア基準」には程遠いと言わざるを得ません。
約8割の方が各種調査で「能登に帰りたい」と望んでいて、私たちの仮設訪問行動でも「やっぱり能登が良い。最後はここで終わりたいから帰ってきた」「みんなと一緒やから良い。土いじり、畑仕事がないと生きとる気がしない」と会員さんは話されます。
一方、奥能登の過疎化の「加速化」がさらに拡大し、生業が見つからない(無い)若年層世代中心に金沢や県外に転出する数が前年比の2倍を超える速さで進んでいることも現実です。
今後の方向性は、(1)震災を風化させない。能登で起きた事実を知らせ続ける(2)春の訪問行動のフォロー含め、支援活動を共同組織強化月間中に事業所・友の会が共同で行っていく。具体的には、自宅で住み続ける方や仮設住宅周辺でのコミュニティづくりの支援を更にすすめることで熱中症や孤独死を防ぎ健康づくりを含む介護予防などにつなげていきます。
復旧復興は、緒に就いたばかりで県や国がすすめる「創造的復興」でなく、住民目線で権利としての「人間復興」を他団体と協力してすすめます。引き続き支援をお願いします。
「困ったときはお互いさま」
地域訪問行動を通しての現状と課題
健生会ふれあい相互病院 理学療法士 清水 雄太
能登半島地震発生直後に被災地支援への参加を希望し、3ヶ月後に現地に入りました。当時はまだ、金沢市から輪島市への幹線道路は修復が進んでおらず、地割れ、土砂、倒木、倒壊した建物が道を塞いでいたため、2時間半ほどかかり輪島診療所に到着しました。到着後、すぐに地域訪問行動を開始しました。
地域訪問行動では、会員名簿をもとに、診療所から半径約3km圏内の会員宅を徒歩で訪問し、被災状況や避難状況、困り事などを聴取しました。倒壊家屋が多く、開いたままの玄関や割れた窓ガラスの隙間から挨拶し、訪問していきます。心身共に疲労困憊であろう住民に声を掛けるのはとても辛かったのですが「暑いのに大変ね」「道ひどかったでしょ」「お茶でも飲んでいって」と優しい言葉をかけて下さいました。不在の会員宅で安否確認を行っていると、近所の方が「中学校に避難しているよ」「息子さんが金沢市の家に連れて行ったよ」と教えてくれるのです。住む場所、人が強い絆で結ばれたコミュニティがここにはあるのだと実感しました。
山間部の地域訪問行動では、家財の片付け、水や食料などの生活用品を運搬しました。印象に残っているのは、慣れ親しんだ山間地域で生活を再開したいと相談された高齢夫婦のことです。お二人は、震災後に金沢市内で避難生活をしていました。しかし、生活に馴染めず、そのストレスから夫は認知機能が低下し、歯が抜け落ち、塞ぎ込んでしまいました。自宅は、天井が抜け落ち、建物は傾き、玄関には『危険』と書かれた赤紙が貼られている状況でした。自宅での生活継続は困難であるため、隣にある納屋を片付けて、生活出来るようにしてほしいと言うのです。生活に適した場所とは言えませんが、希望に寄り添うべく、納屋の掃除と家財の片付けをしました。整理されるにつれて、夫が少しずつ元気になり、輪島塗職人だった頃の話をしたり、一緒に掃除ができるようになりました。会話が増え、表情には活気が戻り、妻がそれを見て嬉しそうにしていたことはとても印象的です。
震災の爪痕はまだ深く残っていますが、日々復興は進んでいます。その原動力は、きっと地域愛や地域住民の繋がりに基づいているものだと思います。課題は山積みですが、それを乗り越えていくためのパワーを被災地の方々は持っています。挫けそうな時には、みんなで支え合えればと思います。遠く離れていても、出来ることはたくさんあります。困ったときはお互いさまの気持ちで関わり続けることが、現状打破と課題解決に繋がるのだと思います。