東京民医連

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みんいれんTOKYO(機関紙)1面の記事の抜粋です

視角

 1956年、水俣沿岸で船大工を営む家の5歳の女児が、歩くことも、食事もできないなどの重い症状でチッソ附属病院に入院。続いて女児の妹を含む同様の症状の患者3人が入院し、附属病院が水俣保健所に届け出た同年5月1日が水俣病の公式確認の日とされている。それから65年。いまだ救済されない被害者1400人以上が患者の認定を求め、1600人以上が国や原因企業・チッソなどに損害賠償などを求める裁判を続けている▼今秋、水俣病を世界に伝えた写真家ユージン・スミス夫妻の写真集を基にジョニー・デップが制作・主演で映画化した「MINAMATA」が国内で上映される。ジョニー・デップは昨年2月のベルリン国際映画祭の公式記者会見で「実際に起きたという事実に衝撃を受けた。その影響は解決されず、いまだに続くことはそれ以上に衝撃的。この歴史は語り継がれなければ」と語った▼水俣病の歴史はあまりに長く、多様な被害、多様な人びとの行動などを複雑に内包していて、ユージン・スミスが水俣で過ごした3年間の体験はあくまでその断片である。現地には水俣病の実相が正しく伝わるか不安の声もあるというが、水俣病公式確認65年目の今年上映されるこの映画が、現在も続くこの公害事件への関心を広げる糸口になればと思う。(目)