視角
視角
10月3日の朝日新聞1面に「水俣病、救済地域外も症状」の見出しの記事が大きく掲載された。1万人の検診記録の分析から、救済対象地域から外れた地域にも水俣病被害者が存在することが明確に示されたとするものだ▼この1万人のデータには東京民医連も取り組んでいる関東地協水俣病検診の受診者のうち、統計的データとして使用することに承諾が得られた方の検診結果も含まれている▼作家、石牟礼道子が「苦海浄土―わが水俣病」を上梓したのは1969年、チッソ水俣工場が水銀の排水を停止し、それを待っていたかのように国が水俣病を公害病に認定した翌年のこと。石牟礼は「神々の村」(「苦海浄土」第2部)のなかで被害者の「国」に対する感情を以下のように描いた。「東京にゆけば、国の在るち思うとったが、東京にゃ、国はなかったなあ。あれが国ならば国ちゅうもんは、おとろしか。(中略)むごかもんばい。見殺しにするつもりかもしれん。おとろしかところじゃったばい、国ちゅうところは。どこに行けば、俺家(おるげ)の国のあるじゃろか」▼今年は水俣病公式確認から60年目にあたるが、未だ、多くの救済地域外の被害者を原告として含む裁判が行われている。石牟礼に「東京にゃ、国はなかった」と言わしめた国の態度が、なにも変わっていないからである(目)