東京民医連

東京民医連のご紹介

みんいれんTOKYO(機関紙)1面の記事の抜粋です

NO! Nuclear Weapons
YES! Article 9
核兵器全面禁止の声よ届け!
NPT・ニューヨークへ

平和の思いを託され
西都保健生協

 4月27日~5月22日にニューヨークで開催される核不拡散条約(NPT)再検討会議のアピール行動に西都保健生協は代表2人を派遣しました。東久留米中央支部の組合員で理事の髙野修一さんと、みその歯科職員の猪股あかねさんです。
 西都保健生協は、機関紙『きずな』に署名用紙と募金袋を折り込み、職員と組合員に広く協力を呼びかけました。各事業所や運営委員の元には次々と募金が寄せられ、多くの方から平和への思いを託されました。また支部運営委員会や各事業所でも募金袋をまわして協力をいただきました。

 

平和カレーを食べる会を企画

 東久留米中央支部は、支部で初めて「平和カレーを食べる会」を企画。材料の寄付やカレーの配達など他支部の組合員や職員も協力、サラダ付のカレーセット100食近くを売り上げました。会場では髙野さんのあいさつやギター演奏も行い、募金とあわせて10万円を集めました。

 

西都九条の会と共催で学習会
 西都九条の会は西都保健生協平和社保委員会と共催で「放射線を浴びたX年後」の上映会とミニ学習会を実施、代表派遣2人の決意表明も行いました。講師を原水爆禁止日本協議会常任理事で西都保健生協理事でもある儀同政一氏に依頼、150人以上の参加者がNPT再検討会議に向けた署名の意義などを学びました。
 映画からは、1954年にアメリカが行ったビキニ水爆実験で第五福竜丸以外にも1000隻以上の船が死の灰を浴び被害を被ったが、アメリカと日本両国政府の画策により闇に葬られたことなどを学びました。収益5万円余りを募金にまわすことができました。
 また清瀬診療所は原水爆禁止世界大会などのため、通年募金活動に取り組んでいます。職員班「はんどめいど班」は、班会で作成したアクリルタワシや、年末には和紙で作ったお年玉袋など素敵な小物を販売、募金箱を設置しています。他にも、みその歯科の提案で歯ブラシセット福袋を企画、新設の西東京生協歯科も協力して各事業所や地域で取り組んでいます。

 

募金の呼びかけに80万円超も

 「X年後」の上映会はもちろん、組合員活動交流集会でも募金袋をまわして協力をお願い、支部でもお花見食事会など人の集まる機会に募金を呼びかけ、目標の80万円超を集めることができました。組合員や職員多くの方に協力をいただき、本当にありがとうございました。(西都保健生協・白井直子)

 

NYで核兵器ノーを
東京ほくと医療生協

 東京ほくと医療生協では、昨年秋からNPTにむけた運動に取り組んできました。
 代表は、地域で活動する理事の小川早苗さん、王子生協病院管理栄養士の宮城桃子さん、ひまわり企画わかくさ薬局薬剤師の木内知子さんの女性3人です。職員・組合員を元気にしたのは、組合員さんの提案で始まった岩手県宮古から取り寄せた「ワカメカンパ」の大運動です。被災地と核兵器廃絶運動の架け橋となるこの運動で募金は120万円を超えました。

 

つながりで400筆の署名も

 十条地域で活動する小川さんは今まで署名を積極的に集めたことはなかったとのこと。「署名を頼むと、わたしがこういう活動をしていることを驚く人もいました。でも、誰かがやってくれると思っていたら核兵器はなくせない。あなたも運動に加わって、とお願いしている」と地域のつながり、高校時代の同窓会、職場の仲間などに積極的に働きかけを続け、400筆もの署名を集めています。
 木内さんは、患者さんからの「なぜ薬局でこういう署名をとっているの」という質問に、同僚が「うちの薬局はいのちを守る医療者の立場から、核廃絶の運動に取り組んでおり、薬局代表がニューヨークに行くからです」とこたえた話を聞き「職場が応援してくれているということを胸に刻んで行ってきたいと思います。」と決意を述べています。

 

職場はまかせてNY行ってきて

 宮城さんは「現場の仲間が、『職場はわたしたちが守るから行ってきて』、という一言が大きかった。今の日本政治にむけた怒りの気持ちもニューヨークで伝えてこようと思っている」と決意表明しました。

 

「NY亭」手打ちうどん活動も

 運動は、東京ほくと医療生協全域で取り組まれています。荒川生協診療所ではNPTカレーカンパとほろ酔いデーを開催し、いち早く署名と募金の目標を達成しています。足立西部第一支部では「NY亭」手打ちうどん活動が行われました。王子生協病院NPTビアパーティーに50人が参加、わかくさ薬局では地域の組合員さんが主体となり壮行会が行われました。
 3人には職員・組合員の思いを基に、ニューヨークで核兵器ノーを訴えて来てほしいと思いました。(東京ほくと医療生協・飯塚佐希子)