東京民医連

東京民医連のご紹介

みんいれんTOKYO(機関紙)1面の記事の抜粋です

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 2月16日、葛飾区亀有で「中島辰猪医師没後80年記念集会」が開催された。1904年生まれ、1930年千葉医専卒業後、「病院へいけないような人を助けるため」医師になると言っていた中島辰猪医師は同愛記念病院勤務を経て、同年8月には葛飾区青戸に開設された青砥無産者診療所(後に移転し、亀有無産者診療所)の所長となった▼1931年11月、江東無産者診療所設立労働者娯楽大会で挨拶していたところ、その発言のために逮捕された。翌日釈放されたが虫垂炎を発病しており、その悪化で翌年2月に29歳の若さで逝去された。青戸にある法問寺に中島医師を偲び建てられた墓碑があるそうだ。碑には、医療は万民のものであるという信念のもと全額国庫負担の健康保険制度確立のためにたたかった中島医師の生きざまが刻まれている▼80年後の今年2月、橋下大阪市長は市職員に労働組合活動や政治活動への参加の有無、投票行動に関わるアンケート記入を「業務命令」した。人の思想や良心の自由を脅かすこの行為に、戦前の恐怖政治へのフラッシュバックを感じた国民は少なくなかったと思う▼同じ2月無産者診療所の歴史を受け継ぐ全日本民医連の総会が開催された。総会方針から情勢を学び医療改善と人権を守る運動を広げようと決意を固めた。(ま)