東日本大震災 東京民医連 支援活動に全力
東日本大震災 東京民医連 支援活動に全力
宮城・塩釜 坂総合病院を拠点に 民医連精神発揮のとき
3月11日午後2時46分、宮城県沖を震源としたマグニチュード9・0の巨大地震が東日本を襲いました。さらに、この地震によって引き起こされた大津波によって、東北地方から関東地方の太平洋沿岸部はかつてない甚大な被害を受けました。地震発生の翌日、被災地・宮城県塩釜市に救援活動に入ったリポートです。
津波に流された家屋や車
地震の翌日、3月12日、辺野古連帯行動に参加していた坂総合病院院長の今田隆一医師と職員、全日本民医連、東京民医連の職員6人で被災地の塩釜市に向かいました。
午後1時、まだ余震が続く東北自動車道を北へ走りました。川口JCTからは完全に一般車両は通行止め。途中、サービスエリアでは全国から駆けつけた救急車、消防車が多数ありました。東北道を栃木県から福島県に入ると様相が一変し、いたる所で道路が隆起・陥没しておりスピードが出せません。夜8時、坂総合病院のある塩釜市に到着。今田院長を迎えた病院では、早速対策本部会議を開き、今後の対応を協議しました。
不眠不休で
病院は職員の不眠不休の頑張りで、被災者の治療に当たっていました。東京民医連事務局の原圭輔さんは、早速現地で支援に入り、帰途につく14日まで外来救急対応を行いました。同行した吉田は避難所となっている多賀城市の市立体育館と小学校を訪問しました。小学校の体育館には500人ほどの人たちが避難しており、たびたび起こる余震に耐えていました。
素足のまま
毎朝晩おこなわれた全職員集会(坂総合病院内)
70代と思われる女性が「津波から逃れるために着の身着のままで逃げてきた、この外套は孫のものを羽織ってきた。しかし、裸足で避難したので足が冷たい。履物が欲しい」と言っていました。みると足下は裸足で靴下もはいていません。被災直後なのでこの様な人もたくさんいました。
街には電気も水道も復旧していません。避難所には石油ストーブが焚かれているだけで、水も十分ではありませんが、カップラーメンのお湯を求める人たちが沢山いました。
医師と同行しましたが、「眠れない」「薬を持ってこなかった」「熱がある」など窮状を訴える人、外傷や火傷をしていて治療を受けていない人など、医療支援の大切さを実感しました。
道路にはガソリンを求める車の長蛇の列。遠く離れた小川には水汲みの車が続いていました。
総勢310人が
今回の東日本大震災に対する支援は、全日本民医連として全国規模で行われています。東京民医連は3月31日までに、医師50人、看護師68人、薬剤師18人など総勢310人でのべ1305日の支援に入っています(一部4月以降の予定を含む)。
地震と津波による被害、さらに原発事故と、戦後最大の大災害です。まさに国民的規模で長期の救難活動と支援が必要です。全日本民医連に固く団結し、今こそ民医連精神を発揮しましょう。
福島原発では重大事故が
一方、福島県東京電力福島第一原子力発電所で地震と津波によって稼動中の第一号炉から三号炉まで炉心損傷という重大事故が発生、現在も懸命の復旧作業がつづけられています。この事故によって12日には20㎞圏内住民に避難指示、25日には20~30㎞圏内住民に自主避難促進が出されました。また、繰り返し起こる爆発と噴煙により放射能汚染が深刻な状態を見せています。
原発避難者治療マニュアル作成
みさと建和病院では、3月14日以降連日ER新患外来で、原発避難者を積極的に受け入れています。20㎞圏内からの避難者の入院もありました。保健所とも相談し独自のマニュアル『福島原発付近から来院された患者対応(20㎞圏内)』『福島原発事故の避難民電話対応マニュアル』を作り対応しています(詳細はみさと健和病院まで)。