東京民医連

東京民医連のご紹介

みんいれんTOKYO(機関紙)1面の記事の抜粋です

先人の苦労踏まえて 稲垣元博医師・民医連の50年

 昔、稲垣と江東診療所の木俣(克郎医師)、この2人は民医連の青年将校であると言われ、総会のたびに会長にかみついて喧々諤々(けんけんがくがく)の討論をやりました。今回の総会も相当活発に議論されたと思います。
 一昨年は病院が61カ所倒産しました。今年は恐らく民医連の中からも倒産が出るんではないかと(笑い)私は予測をしています。民医連は病院は赤字だけれども診療所が黒字で何とか支えられてきた。ところが去年あたりからはもう診療所もだいぶ赤字になりました。これでは恐らく倒産もやむをえない(笑い)。そこでお願いしたいのは、退職者の皆さんを活用してほしいということです。
 一つは、民医連は患者さんたちみんなの力で築き上げつくりあげてきた病院・診療所ばっかりなんです。その苦労を新しい職員たちに知らせてほしい。私は50年、私用電話もせず、ムダな電気も消して歩きました。そのくらいやらなきゃダメなんですね。また普通の人件費ではやっていけません。民医連はリストラや賃下げも出来ないんです。だから経営者はもう、うつ病になってね、倒れるしかないんです(爆笑)。そのくらい大変なときなんですね。
 従って患者さんや退職者の方々からボランティアとして手伝っていただく。共同組織の皆さんに支えていただくしかありません。そうでないとこの危機はとても乗り越えられないと思います。

 私は写真クラブを作ってですね、40年間やってきました。短歌、俳句、川柳もやっています。
 何らかのゆとりがないと、とても50年、民医連じゃ務まりません(笑い)。
 あとは身体の問題。一日1万歩は歩いてます。それから煙草の吸殻をですね、100個ずつ拾ってんです。これは腰痛を治すために始めたんです。そしたら路上喫煙禁止の条例ができました。それで駅の周囲は全くきれいになりました。
 一人の力で政治を変えることさえ出来るんですよ(笑い)。そういう意味で皆さん方がしっかり頑張れば、民医連は永遠に不滅である(爆笑・拍手)ということに確信を持って私のあいさつに代えたいと思います。