東京民医連

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みんいれんTOKYO(機関紙)1面の記事の抜粋です

民医連のルーツ探るとりくみ 小児マヒ闘争学ぶ

 「子どもの命を守る地域的な運動から視野を全国に広げた歴史的たたかい。中野の誇りある伝統として学び取ってほしい」。10月14日、全国ジャンボリーに向け行われた民医連のルーツを探る健友会の学習会。全国でも中野が先駆的な役割を果たしたといわれる1960~61年の「小児マヒ闘争」について、運動のただ中に身を投じた落合文次・元健友会評議員に話を聞きました。

 小児マヒはポリオウィルスによって引き起こされる障害。感染すると、発熱・頭痛・吐き気が起き、運動神経を破壊、百~2百人に1人に生涯麻痺が残り、中には呼吸筋の麻痺により死亡することもあります。
 日本のポリオ患者は61年までに毎年千人以上発生し、特に60年には5千6百人を超える患者が生まれました。予防薬は米国から輸入された不活化ワクチンのみで治療法はなく、政府の対応は自衛隊まで動員して大量の石灰をまくだけで、有効な手立てを講じられずにいました。
 その不活化ワクチンも米国での大流行でほとんど手に入らず、闇値は区内で2万円。親子3人が月3万円で暮らせた当時、庶民には手が届かぬものとなっていました。
 落合さんは江古田沼袋診療所の事務長だった樋口武さんや「子供を小児マヒから守る中央協議会(マヒ協)」のリーダー・久保全雄医師と話し合い、ワクチンの効果の違いから「今年の大流行をとめるには、ソ連製の生ワクチンを大量に一斉投与するしかない」との結論に達し、日本中の父母の要求を厚生省に集中しようと運動を全国規模に拡大。ポリオの正しい理解のためにスライドも作成しました。
 都衛生局・厚生省との交渉も重ね、厚生省統一陳情では子供を背負った母親たちが先頭に。千人に上る陳情団の怒りと涙で生ワクチン輸入を認めさせ、これ以後、日本でのポリオ患者は激減。この運動をWHOは「世界史的な出来事」と評価しました。
 落合さんは「数々の薬害を起こしてきた政府・厚労省の体質は当時のまま。民医連がやらなければならないことはまだまだある」と青年職員に語りかけていました。
 参加者からは「母親たちが大きく動かした運動。そこに民医連がかかわっていたことに誇りを感じる」「すごく元気をもらった。粘り強く続けることの大切さを教わった」などの感想が出されました。