東京民医連

東京民医連のご紹介

みんいれんTOKYO(機関紙)1面の記事の抜粋です

軍国教育肯定にがくぜん 平和ツアー

回天記念館・毒ガス島 葛飾医療生協平和ツアー

 葛飾医療生協では、篠原支部の主催で平和ツアーを開催。山口県周南市の大津島にある回天記念館と広島県竹原市の毒ガス島を見学しました。

 神風特攻隊と同じように、隊員自ら操縦し敵艦に体当たりした「人間魚雷回天」。145人の犠牲者は、平均21.1歳の若者たちでした。
 初日の回天記念館では職員の説明に参加者一同がくぜんとしました。回天の悲惨さに、ではありません。
 「回天は全て志願兵だった。内側からハッチを閉める構造で、閉じ込められたわけではない。今の日本があるのはこれら戦没者のおかげ、感謝しなければ」と。
 当時は引き返したり、逃げ出すことなど許されない時代です。しかし軍国教育そのままに肯定的に説明する、これが教育委員会運営の記念館の実態なのです。年間5百人の小中学生がこの説明を受けている事実に、教育基本法の改悪と有事法制の根は一つ、大変な事態だと思いました。
 翌日は大久野島(毒ガス島)へ。ガイドは毒ガス島歴史研究所の職員です。
 瀬戸内海の美しい小さな漁村の島に工場ができたのは1927年のこと。毒ガスの製造・使用とも国際法違反で極秘に行われ、島自体を地図から削除しました。当時、呉線の列車は大久野島の見える場所ではカーテンを引き、島が見えないようにしました。
 ここで160万個以上の毒ガス弾が製造され、中国では8万人の被害者が出たといわれています。戦後の毒ガス処理を含めて18年間で6529人が従事し1887人が毒ガスの後遺症や事故などで亡なっているそうです。
 この島は現在住民はいませんが、国民休暇村になっており、飲料水は砒素除去装置で地下水を使っているとの説明でした。それだけ危険な島がなぜ休暇村なのか?「毒ガス島の歴史を何とか払拭し、覆い隠したいのでしょう」とガイドは言っていました。
 島内には数万発の毒ガス弾が埋めて投棄され、その場所も特定されていないそうです。戦後処理はここでも終わっていませんでした。