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新入生歓迎 春のビッグイベント「谺雄二氏 特別講演」
全日本民主医療機関連合会 関東甲信越地方協議会 主催
Big Event in Tokyo 2002 Spring
2002年4月20日 後楽園会館
「真実を見極めるまなざしをもって!」
〜多くの人々にハンセン病を知ってもらう努力をしていきたいと思います。
病人(患者)を同じ人間として関われる心を持ち続けたいです〜
(当日の感想文から)
4月20日(土)新入生歓迎企画を開催!
医学生44名、全体で100名を超える参加、「真実を見極めるまなざしをもって!ハンセン病元患者のたたかい」について、谺さんのお話から多くのものを学びました。
また、会場後方では、ハンセン病元患者さんたちの様子を記録した、寺島萬理子医師の写真展をおこないました。はじめに医学生による谺さんの詩「ボク」の朗読。生きることを許されなかった、ホルマリンのなかにいる胎児の思いを代弁した内容が、重く静かに読みあげられました。続いて民医連奨学生によるハンセン病施設の栗生楽泉園と、患者さんを強制収用する様子や、3月に栗生楽泉園にてフィールドワークをおこなった「奨学生合宿in草津」について、ビデオやスライドを用いての紹介があり、谺さんの登場となりました。
谺雄二さんのプロフィール
こだま ゆうじ 1932年、東京都に生まれる。1939年、ハンセン病発病。母親とともに国立療養所多磨全生園へ入所。1951年、国立療養所栗生楽泉園に転所。1999年、原告として東京地裁に「らい予防法人権侵害謝罪・国家賠償請求訴訟」を提訴。2001年、「ハンセン病違憲国賠訴訟全国原告団協議会(全原協)」発足。会長代理となる。「人間とは、人生とは」と考え続ける中で執筆活動を始める。主な作品として、詩集『鬼の顔』、詩と写真『らいは長い旅だから』、自伝『忘れられた命の詩〜ハンセン病を生きて〜』、『知らなかったあなたへ』などがある。
■講演要旨
「ハンセン病」という言葉をはじめて聞く人や、新入生にもわかりやすいようにと、ハンセン病の原因であるライ菌の説明からはじまりました。
感染力が極めて弱いものであるにも関わらず、強制隔離という「非人間的」な政策、 これによって生みだされた差別と偏見、そして、収容所ともいえる施設内での過酷な状況について、 自分自身の人生と重ね合わせながら、お話していただきました。また、生きる希望も持てない過酷な状況を生み出しているのが、「ライ予防法」であることから、この予防法の廃止に向け、元患者たちの立ち上がる姿についても克明に語られました。重監房と呼ばれる「特別病室」の廃止、特効薬である「プロミン」を得るためのたたかいなども紹介され、まわりの差別偏見によって、家族であっても支えることのできない苦しみのなか、「患者のみの孤立したたたかいになってはいけない」と、社会とのつながりをつくるための努力など、谺さん自身の生き方も語られました。最後に、ハンセン病に関わった、対照的なふたりの医師の姿をとりあげ、科学的な事実に基づき、ヒューマニズムを大切にする医師であって欲しいこと、患者は人間であり、患部や症状だけをみる医師にならないで欲しいという期待が話されました。
■感想文から
●(谺さんの)話を聞いて“よくもこんなことがまかり通っていたものだ”と憤りをおぼえた。ハンセン病患者のおかれていた悲惨な状況に言葉を失った。☆ 社会の偏見が強いために「泣き寝入り」する人が多い中で、らい予防法廃止を掲げ奔走する谺さんの勇気と行動力は、僕も将来医療に携わっていく中で見習いたいと思います。
●歴史的背景などまったく知らなかったことに気づいた。ついこの間まで“ハンセン病”という名前さえ知らなかった。社会でこんなにも悲しい現実にぶつかって頑張っている方々がいたのを知らなかった。不思議さと申し訳なさを感じた。
●ハンセン病患者さんへの隔離政策がいかにひどく、恐ろしいものだったのかということを実感できました。間接的に話を聞いたり読んだりするより、(当事者に)直接話を聞くほうが、はるかに大きな力をもつものですね。
●私にも隔離政策を推進した医師のように、いつの間にか「患者は人間」ということを忘れてしまう可能性があります。そうならないためにはどうしたらよいのでしょうか。
●しっかりと科学的、人道的に考えられる人間になっていきたい。
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