医学サイト
東京民医連 HOME
医学生実習
奨学生ガイド
震災ボランティア
医師からのメッセージ
民医連とは
臨床研修ガイド
リンク集
お問い合わせ・お申し込み

リポート 医学生の被災地ボランティア

「まだ復興は終わっていない」

―3・11東日本大震災の後、
多くの医学生が全国から被災地に向かいました。
「医師の卵として、被災者のために何かしたい」
そんな熱い思いを大切にしたいと、東京民医連が立ち上げました。
「東日本大震災医学生ボランティアネットワーク」
参加した医学生の経験を紹介します。

1)リポート

2014年3月ボランティア

 2014年3月に行ったボランティアに入学前の新一年生を含め5名の医学生が参加しました。
ボランティアを行った場所は宮城県の南に位置する山元町です。参加した新一年生のAさんは大学受験の際、パンフレットを受け取り、東京民医連加盟病院での入学前「地域医療体験」でこのボランティア企画を知りました。Aさんは「高校時代に震災にあい、TVを通じて被害状況は知っていたが実際自分の目で見たい、知りたかった」「自分に何ができるかわからないができることをしたい」との思いで参加しました。

1日目
医療者の話をきく・農業ボランティア

 1日目の午前には、宮城民医連・宮城県南医療生協の方から被災当時のお話をお聞きしました。病院・診療所の職員も被災した状況で、一刻も早く医療・介護を再開するべく動き出し、電気、水が来ていない中でも14日から診療を再開しました。
午後は山元町で農家をされるKさんの畑で作物を植え替えるボランティアを行いました。Kさんは、「畑は津波に流され作物を植えるまでに、がれきを撤去し、ようやくこkまでの畑にすることができた」「夫婦二人で畑をするのは大変でボランティアさんが来て頂くのは大変ありがたい」とボランティアに参加した
学生に話しました。

被災者の方から3・11を聞く

 その後、山元町に住むYさんのご自宅に伺って3月11日震災直後の被害状況のお話を聞きました。
震災直後のYさんは、何とか命は助かったものの、地震と津波によって崩された自宅やめちゃくちゃになった街並みを見て、「もうしめいだ(おしまいだ)」と立ち尽くしました。それから病院職員やボランティアの協力を得て、生きる気力を取り戻しました。

2日目
仮設住宅を訪問

 2日目には、山元町の仮設住宅に住む方々に血圧測定や体脂肪測定など健康状態をチェックする健康相談・医療相談を行いました。医師や医療スタッフと一緒に医学生も参加しました。
健康相談に来た方からお話を聞いたAさんから「仮設住宅は今まで暮らしていた家と設備は同じものが提供されていると思っていたが、実際は防音設備が整っておらず、隣の家の咳まで聞こえるくらい壁が薄い部屋」だと聞いて、仮設住宅の暮らしぶりに驚きました。

まだ復興は終わっていない

 このボランティアで医学生たちは多くのことを学びました。「TVなどを見て復興はもう終わった、現地は元どおりになっており震災は過去のものだと思っていた。しかし、被災地を見て、水平線まで見える荒野が元々は住宅地が広がっておりそこに何もない状況があり、復興はまだ終わっていない」と話しています。
また、「ボランティアに参加して一番感じたことは、当事者の声を聞く重要性です。いくら私たちが想像を膨らましても、気づかないことは多くあります。これは、医療にも言えることではないかと思います。患者さんの声を聞くことが重要であるということです。当事者の声、患者さんの声を聞くことのできる医師になりたい」と強い思いが語られました。時間とともに困っている必要なことは変わります。これからも被災地、現地の方と共にできることを続けていきます。

2)参加学生の感想 K大学4年生

K大学医学部4年 Kさん(8月29-31日 宮城県名取市閖上地域)

 私がこのボランティアに参加するきっかけとなったのは、大学の講義で見たある動画だった。それは、2011年3月11日東日本大震災の地震直後に、病院関係者が記録用として病院内を撮影し続けたものだった。院内では、多少の同様は見られたものの災害時マニュアルに従い、多くの負傷者が来院すると想定した準備がてきぱきとされていた。いつどこで起こり得るか分からない災害に対して、将来自分は医師という立場で対応し立ち向かわな刈ればならないのだと改めて思った。
震災直後は、ニュースや新聞などから震災の状況を知って心を痛めた。しかし、日常の生活に追われ、震災について何も知らないまま今に至っていた自分を恥じた。現地に行って、被災された方や現地ボランティアの方の生の声を聞き、自分にも何かできることがあればという思いで参加した。この3日間で心に強く思った事は、百聞は一見に如かずということだ。実際に閖上に来て、見渡す限り何も残っていない更地を目の当たりにした。震災前には、ここに住宅や商店街があったとは思えないくらいだった。あるのは、今にも倒壊しそうな住宅と松の木だけだった。大きな瓦礫はあらかた撤去されてはいたが、住宅跡地にはまだ家電製品や食器の小さな破片が転がっていた。
ここに来て初めて、震災が残した爪痕の大きさを実感した。本当に恥ずかしい話だが、いくら報道で現状を知って頭で理解していたとは言っても、画面を通して知った情報に対してなかなか実感が湧かなかった。ボランティアで来られた方とお話をして「復興」の難しさを感じた。お話を聞く前は、震災前のように街や住宅がこの地に再び出来て人が戻ってきたら「復興」したと言えると思っていた。しかし、閖上地区の一部が居住禁止区域に指定されてしまった今、震災前と同じような状態に戻る事は厳しい。一言に「復興」と言っても、ひとそれぞれの考えや思いがあり、人によって「復興の定義もそれぞれだった。現地ボランティアの方から「閖上」という地に戻ってくるという選択をしなくてもいい。戻ってこないという選択肢を選んだ決断を含めて、それは被災された方が前に進んだということ。被災された方が前に進めるようにお手伝いをしたい」この考え方は、私が将来関わる医療にも通じる点があると思った。患者によって生き方や人生観は多種多様で、治療後の人生を生きるのも患者本人だ。そう考えると、患者にあった治療・ケアを行い、患者がその後の人生をより自分らしく生きる事ができ、前に進めるようにお手伝いすることが私達医療従事者の役目なのだと切に心から思えた。

3)医師インタビュー

被災地に求められる“最適”を目指して〜泉水医師インタビュー〜

 東日本大震災のあと、本当ならば専門研修に入る予定でしたが、指導医にかけあって研修開始を1ヶ月遅らせてもらい、その期間を被災地支援に行かせてもらいました。
震災後1ヶ月を経過していない石巻市に支援に入りました。私がやった役割は医療支援というよりも「コーディネーター」でした。色んな職種、色んな役割、色んな地域の人たちと一緒になって、被災地の人たちが抱えていた問題を少しでも解決の方向に近づけていく、そんな役割でした。当時は、まだ食事や水も決して充分ではなかったし、移動のためのガソリンの入手も困難でした。朝一個のアンパンが一日の食事、という日もありました。地震・津波の大きな被害のあとに残った問題は、災害弱者の人達を中長期的に見ていくことが出来る機能をどう作っていくかだと感じました。
その頃、避難所になっていた学校などの施設は「いつか出ていかなければならない」という問題がありました。
長期化する避難生活のなかで得に高齢者の方々が弱っている。そのうえ、避難所を退去・移動しなければならないというのは、大きな問題でした。「要介護者」言われる人々の受け皿が圧倒的に足りなかったんです。
私の役割は、私も含めた多くの支援者が去ってしまったあと、そういった災害弱者の人達を見守ることの出来る場所をつくることでした。支援者・現地の人たちとが一緒になり、多くの関係者や多くの団体の力も借りて作り上げたのが「要介護避難所」でした。
この時、強く思ったのが「自分に出来る最高のこと」では自分がいなくなったあとに継続されない。
けれども「現地の人たちにとって最適のこと」を作り上げることができるのならば、自分がいなくなったあとも継続されるということ。「最高ではなく、最適をめざす」ということは、つまり「自分がやりたいことではなく、患者さんや地域が望んでいることをやる」という医療のスタンスにも通じることだと実感しました。
患者さん(被災地の方々)の病気だけでなく、その背景も見るということは、今いる病院でも被災地の避難所でも同じことでした。震災後の避難生活のなかで、誤嚥性肺炎やインフルエンザ(感染症)が流行りました。被災地でなければ、薬を出して安静にして栄養を摂るようにすれば良いことです。
一つ一つの病気についていえば、被災地であろうとなかろうと同じです。けれども、なぜその病気になるのか、なぜ流行してしまったのか、についてはしっかりと生活背景や環境を見なければいけなかった。例えば、高齢者の方で嚥下(飲みこみ)が悪くなっているのは何故か?入れ歯を使っている方ならば、水がなくて入れ歯の洗浄が出来ない、保管する清潔なケースがないので外せない、充分な歯磨きが出来ない、口内環境が悪化して飲み込みが悪くなり、誤嚥性肺炎になってしまう。
例えば、インフルエンザなどの感染症にかかっても他の人にうつさないための「別室」なんてなかった。
トイレや手洗いの衛生環境も悪かったので、病気が広がりやすくなっていた。こういったことは「病気を治す」ことだけを考えていても根本的な改善にはならない。その人たちが生活している環境の改善をしなければいけない。もちろん被災地だから抜本的な改善はすぐには出来なくても、自治会と協力して衛生環境を少しでも良くするなどをやることが出来ました。
「患者さん(被災地者の方々)が望んでいることに応える)」というのは当たり前のことに聞こえるかも知れません。でもそのことは普段の医療活動で、自分の病院でやっているからこそ自分自身も違和感なくおこなうことが出来たのだと思いました。
最後に、皆さんへのメッセージになります。
人から聞いたことではなく、自分の目で見て肌で感じることがもっとも大事なことではないでしょうか。
震災はまだ終わっていません。まだまだ「非日常」のなかで生活されている人が沢山います。
コミュニティが断絶された中で生活している人が大勢います。そういった人たちのことを忘れてはいけない。
かつての日常生活を取り戻すことが復興です。まだまだ復興にはほど遠い状況です。
そのことを自分の目で見て、感じてください。そして見て感じたことを周りに伝えてください。
そのことは単純だけれども大切な「支援」になります。「忘れない」ということが支援になります。
ぜひ皆さん自身、被災地へ、困難を抱えている人のもとへ行って欲しいと思います。

※復興を目指す中、被災地という表現は適切ではないかもしれませんが、一般学生向けの冊子の投稿のため当時の表現通りわかりやすい表現にしています。

4)東京民医連・東日本大震災医学生ボランティアネットワーク 概要

東京民医連・東日本大震災医学生ボランティアネットワーク

医学生の皆さんの「何かしたい」「何ができるのか」という思いと一緒につくるネットワーク

 未曽有の東日本大震災から4年がたとうとしています。大地震と大津波、原発事故の影響でいまだに復興が進んでいない地域もあり、多くの人々に苦難を強いています。
私たち民医連は現地への支援はもちろん、義援金や物資の支援、瓦礫撤去や地域訪問などをおこなうことと同時に、行政にも働きかけ被災地の復興のために取り組んできました。
震災とそれに関連する影響から復興には、長い時間がかかることが予想されています。
私たちは復興に向けて多くの人々とともに、力を尽くしていきたいと考えています。
医学生の皆さんと一緒に復興に向けて行動していくため、このネットワークを立ち上げました。
このネットワークは、
(1)知ること/被災地の現状や求められている (2)学ぶこと/復興に向けた行政問題や社会制度、そして原発問題などの学習会 (3)行動すること/被災地支援のための具体的行動、地元・首都圏での活動
この3つを大きな取組の柱としています。
一人一人の「何か出来る」をこのネットワークにお寄せください。

これまでの活動 医学生75人 18回開催
2011年 4回
参加…………医学生11人、職員7人
2012年 5回
参加…………医学生28人、職員20人
2013年 5回
参加…………医学生26人、職員20人
2014年 4回
参加…………医学生10人、職員12人

●活動場所
宮城県/多賀城市七ヶ浜・石巻市・山元町・名取市閖上町
岩手県/大船渡市

●活動の内容はブログを参照してください。
http://blog.livedoor.jp/tokyominiren/

次回の医学生被災地支援ボランティアは3月開催の予定です。
被災地支援ボランティア説明会を随時開催しております。
(医学生および医学部医学科合格者が対象となります)
●問い合わせください

●問い合わせ先
東京民主医療機関連合会・医師部(医学生震災ボランティア担当)
TEL:03-5978-2741
Mail:hongou@tokyominiren.gr.jp

 東京民医連・東日本大震災医学生ボランティアネットワ−クブログ



Copyright (C) 2003 Tokyo Miniren. All rights reserved.