【第2部】医学生時代をどう過ごすか</2>
僕のバックグラウンドと医師へのモチベーション
後半では僕自身の話をします。僕がどんな経験の下でどういう価値観を抱いて生きてきたかの話を通して、目の前にいる4年目の医者がどういうモチベーションでお医者さんになったのかを感じてもらえればと思います。
まず僕のバックグラウンドですが、1つ目に、僕は先天性内反足という足の障害を持って生まれてきました。両足の骨や筋肉の構造の異常で、本来まっすぐ前を向いているはずの足が両方とも内側にねじれた状態でした。生まれてすぐに2回、5歳のときにもう2回手術をしました。現在は問題なく生活できるし、お医者さんもできる。学生時代はバレーボールをやっていて、人並みにスポーツもできます。
そんな僕は障害を抱えて育ってきたわけですが、学校ではみんなができることができない。つま先立ちができないとか、足首が曲がらないので水泳でバタ足できないとか、自転車で低めのサドルしか乗れないとか、高いところの物を取るときに背伸びができないとか、そんな些細な問題ですが、幼い僕にとってはやっぱり大きな障害でした。でもそれは僕の体の問題ではなく、人から稀有な目で見られたり、水泳の授業がバタ足ができる前提で行われていたりと、バリアは自分の外にあるのだと気づきました。今の僕なら「それがおかしいじゃないか」と言いたくなってしまいます。
そんなこともあって、僕は子どもたちの困難を取り除きたいと考えています。お医者さんを目指した最初のきっかけはこれで、幼稚園・保育園の先生か小児科医を目指していました。紆余曲折あって呼吸器内科にいますが、やっぱり「子どもたちを苦しい状況にしてはいけない」というのが最初のモチベーションだったと思います。
2つ目に、僕は5人兄弟の4番目として生まれました。当時、父親は非正規で母親は劇団の事務職員、ローンはあれど貯金なし世帯です。僕が小学4年生の時ですが、当時は姉弟と3人で同じ小学校に通っていましたが、我が家じは体操着が2組しかなくて、3人とも体育の授業がある日は早い者順でした。高校時代は部費を稼ぐためにずっとアルバイトをしていました。貧乏なことでいろんなものを奪われていると思っていたので、そこから抜け出すのは必須だと思い、それも医者を目指すモチベーションでした。
2011年3月12日、僕は高校の卒業式を迎えました。卒業式が終わって廊下に並んでいたとき、福島第一原発の2号機が爆発したという校内放送が流れました。1年間浪人して過ごしましたが、テレビをつければ東北の悲惨な状況が流れてきました。「なんでお医者さんを目指している自分は今あそこに行ってボランティアをしないんだろう」とずっと自問自答していました。物心ついてから福島第一原発事故を経験した自分にとって、災害などのとき人の役に立てる仕事に就きたいというのもモチベーションになりました。
もうひとつが沖縄です。僕のおばあちゃんは沖縄の人で、今も沖縄に住んでいます。戦争当時は9歳で、家族離散して一晩中妹の手を引いて山の中を逃げ回ったそうです。翌朝アメリカ軍に捕まって捕虜になりました。おばあちゃんは生き残ったけれど、戦争が終わって家に帰るともうそこに自分の家はなく、アメリカ軍によって全部平地にされていたそうです。戦争を間近に経験した人の話を身近で聞くことで、やっぱりそんなことは絶対に起こしちゃいけないなというのが、これは医療者というよりは社会人としてのモチベーションのひとつになっています。
いろいろな出会いと学びがあった医学生時代
大学時代にはいろんなできごとがあり、いろんな人と出会っていろんな学びをしました。
まず同級生のT君。見た目は男の子でヒゲもはやしていました。一人称は俺だったし男の子として接していたけど、彼はたまに明らかに女性ものとわかるロングスカートを履いてきました。そんな彼が2年生の夏休みが明けるとサークルに来なくなりました。先輩に聞くと学費が払えずに退学したということでした。僕は知らなかったのですが、彼の家はお母さんが亡くなって父子家庭でした。貧しかったため高校卒業後は進学せずに、お父さんと一緒にアルバイトをして家にお金を入れていたそうです。2年働いたところでお父さんが進めてくれて大学進学を決めたそうです。洋服はもっぱらもらい物で、そのうちのひとつがあのロングスカートでした。これは10年ぐらい前の話ですが、今も大学に行くにはかなりお金がかかります。大学生・専門学生のアルバイト収入が減って、親の収入も減って、大学を辞めることを考えているという人が一定数いる。そういう時代です。このT君のことは果たして仕方がないのか。お金がない人が学びたいことを学べないのは仕方がないのか。仕方がなくないとすれば、誰がどうしたらいいのか。僕には何ができるのか、みたいなことを考えました。
1年生のゴールデンウィーク、民医連の職員さんから「震災ボランティア興味ない?」と声をかけられて行ったのが南三陸町です。まだ震災から1年と2ヵ月だったので、建物は水浸しだったし、骨とかお金とかアルバムとかが出てきて、それをみんなで掘り起こすような作業でした。現地で実際に家や家族が流された人の話を聞いて肌で感じて、「やっぱりこれをどうにかする、なんとか人の役に立つために医学生になったんだ」みたいなのを思い直しました。
また、僕はそれを地元に持ち帰ることができました。信州大学には分室活動といって民医連の学生ルームがあったので、「今どういう支援が大事なんだろう」とか、「放射線の何が問題なのか」とか、「これからのエネルギー政策どうしたらいいのか」とか、みんなとディスカッションできる環境があったんです。友達としっかり学び会える場があったのは嬉しかったですね。
地元を飛び出して、全国の医学生とディスカッションする場ももらうことができました。それが民医連の企画で年に何回かやっている「医学生のつどい」です。大学で学ぶナトリウムとカリウムとか、そういう医学からさらに視野を広げて、人間とか社会とかそういうこともディスカッションする場が欲しかった。そんな僕にとって、つどいはぴったりの場でした。
もうひとつ、これはちょっと特殊ですが、僕は1年生のときにIPPNW(核戦争防止国際医師会議)という世界の医師たちが作っている団体の国際会議に行きました。核戦争というとおじいちゃん、おばあちゃんの政治色が強いイメージでしたが、ここに行くと世界中の医学生が「僕らは地元でこんなことをしている」というのを熱く語っていて、こんなに動き出している医学生がいるんだということに強く刺激を受けました。
僕にとっては怒涛の大学1年生、大きく世界が広がった1年で、自分のフィールド、居場所になったのが奨学生活動でした。
ここからは、僕の中の3つの行動原則とも言える座右の銘を紹介します。
〈座右の銘 その1〉学習者として学び探求する
「目の前にある問題をどうにかして僕らが解決すべき問題にしたい」ということで、全国医学生ゼミナールに毎年参加していました。全国医学生ゼミナールは医療系の学生が主体的にやっている自主ゼミ活動で、毎年夏に本番があり300〜400人が参加します。
何をやるかというと、学生が自分たちで問題や課題を設定して、それについてディスカッションしたり、研究者の話を聞いたり、あとは普通に飲んだり交流したり。「リハビリテーションとは」とか「コミュニケーション・トレーニング」とか「初めての漢方医学」というように、学生一人ひとりが自分のマイテーマを持ち寄ってディスカッションするという環境が僕には新鮮で、本当に6年間、毎年のように参加していました。教科書を読むだけでなくそれをどう解決するのかまで学べるので、さらに刺激がもらえました。くだらない話もできるけど難しい話をできる仲間というのは自分を高める存在にもなってくれて、すごく支えになった6年間でした。
〈座右の銘 その2〉 当事者として声を上げる
これは本当に僕のモットーです。なぜここにたどり着いたかというと、先輩に誘われて大学の医学部の学生会という、自治会のような活動を始めたのがきっかけです。2年生で役員になり、3年生では各大学の自治会から何人かずつ出し合って作られる連合会の役員になりました。ここに入って、あれよあれよという間に全国の医学生とつながって、医学部のカリキュラムとか、奨学金がちゃんと平等に払われているかといった問題についていっぱい情報が集まってくるようになり、あれよあれよという間にそれを文部科学省に届ける立場になりました。毎年1回、文部科学省と厚生労働省に行って、医学生の実際の声を役人さんに届けるというのをやっていました。そのためにアンケート調査をいっぱいやったし、実際に集まって交流したりもしました。
自治会以外にも自分の声を届けている医学生はいます。入試差別の問題が2、3年前に話題になって、「女性の受験生の点数を間引きしたり男性に加点するのは平等・公正の立場に反するのではないか」と声を上げた人たちがいます。「コロナのせいでバイトができなくて退学を考えているんだ」と訴えている人たちもいます。自治会の連合会の後輩も「多浪生を排除して奨学金を出すのはおかしいのではないか。学ぶ権利はみんな一緒だ」と訴えたりしていて、「熱いな、かっこいいな」と今でも思います。
例えば今だったら、コロナで医学生は臨床実習が全然できていない。皆さんの先輩たちとか、もしかしたら皆さんもかもしれない。次の4月から入ってくる初期研修医の先生たちは、ベッドサイドで患者さんの診察をしたことがない人たちかもしれません。学ぶ場所がかなり制限されていて、これも僕は声を上げるべき問題だと思っています。声を上げるべきかどうかは一人ひとりに任せられているけれど、自分が苦しんでいることを「苦しい」と言うのは当然の権利です。自分の人生において自分が一番の専門家だからこそ、率直な意見を伝えるというのは大事かなと思います。
〈座右の銘 その3〉代弁者としてアドボケイトする
最後は「アドボケイトする」。医療者の使命のひとつです。単に病気や怪我の治療を行うだけでなく、疾病予防や健康増進の役割を担うと同時に、さまざまな要因によって健康格差が生じないように配慮し行動しなくてはならない。自分のためだけではなく、誰かの健康を阻害する要因とか、格差を生み出す要因というのに我々は声を上げていかなければいけないというのを肝に銘じています。
これは医学生ゼミナールのみんなと考えた言葉ですが、苦しんでいる人の状況や苦悩に「気づくこと」、それを解決するための環境や関係性を「築くこと」。自分ひとりではなかなかできなくても、みんなと協力して関係性を築いて解決しなければならないと思うんです。T君のことを振り返ってみると、やっぱり僕は傷つける側じゃなく「気づいて」「築ける」人になりたい。T君が大学を辞めなければいけなかった問題というのは、T君だけの問題ではなくてやっぱり僕の問題だったんです。彼は大学を辞める前に教授や友達に訴えたりしないで辞めていきました。じゃあ彼はなぜ声を上げられなかったんだろうと思うんです。彼はきっと、貧乏だからといろんなものを諦めてきたはずです。そもそも大学に進学しないでアルバイトで2年過ごして、いろんなものを諦めなければいけないとずっと思ってきた人が、いざお金が払えないから進級できない、退学せざるをえないとなったときに声を上げられるかというと、やっぱり同じように諦めてしまうのではないかと思うんです。苦悩の状況にいる人ほど諦めていて声を上げにくい。だからこそ、やっぱり僕らが上げなければいけないんじゃないかと思っています。今の僕は言えます。これは明らかに不平等だと。けれど、当時の僕はやっぱり言えなかった。
最近、八村塁さんの弟さんの亜蓮さんがツイッターに上げてニュースになりました。「日本だってこんな差別日常茶飯事だよ」って。八村塁さんのところにも黒人差別のダイレクトメッセージが毎日のように届くそうです。彼らにとっては人から誹謗中傷されたり悪口を言われて傷つくのはもう毎日のように起こることで、スルーしないとやっていけない。これはもう大きな諦めだと思うけれど、彼らは声を上げていないし、いちいち上げていたら自分の身が持たないわけです。じゃあ誰が解決するのかというと、やっぱり当事者だけではなくて、僕らアドボケイトする側だろうと思います。
もうひとつ、今、入管のことが話題になっていますね。外国から日本に入ってきた方々が正当な滞在理由があるかどうかを厳しく審査される場所ですが、そこでは人間らしい扱いがされず、この前、スリランカ人女性が命を落としました。苦しいと言っているのに病院にかからせてもらえず、やっと病院にかかって医者は入院が必要と言ったのに、入管の職員さんはそのまま連れ帰って収容を続けました。そんな中で彼女は亡くなりました。困っている人が助からない国で、この先自分もいつか困るかもしれない。ずっと勝ち続けていればいいですけど、自分だけが勝ち続けているだけでいいのかというところで、気づいた人たちが声を上げています。真相が明らかになってないので何とも言えないけれど、国籍や性別の違い、経済格差などで苦しんでいる人が明らかにいること、そういう不平等に声を上げるのは誰かということを、僕は常に自問自答するようにしています。
Take Home Message〜みんなに伝えたい!
「学生時代の可能性は無限大だ!」
僕は4年目のお医者さんで、医学の知識とか技術で言ったら本当にまだまだペーペーです。そんな中、今からまだまだ学生生活が残されているみんなに言いたい!
本当に可能性は無限大だし、このコロナ禍であってもやっぱり無限大だと思います。いろんな人と交われば交わるほど価値観も多様になるので、ぜひぜひその可能性を広げていってもらいたいと思います。
そこでこれは盲点なのですが、誰かの可能性だけじゃなくて、自分の可能性も往々にして奪われていることがあります。お金を稼がなければいけない、環境に適応しなければいけない、部活に絶対入らなければいけない。そんなふうに「しなければいけない」というのは意外とそうじゃないかもしれないし、選択肢が奪われているだけなのかもしれない。自分のことも大切にするような6年間にしてもらえたらいいと思います。
それから、フィールドがあるとすごく積極的になれます。仲間がいたり、ここに来ると刺激がもらえるというところに月1回でも年1回でも行けるというだけでいい。そういうフィールドを持つというのはやっぱりおすすめです。
コロナ禍で会えない、行けない。本当に難しい時代だと思いますが、ウェブで出会って学ぶこともできるし、ネット上で行動している人もたくさんいます。そういう積極的なことはできなくても、「コロナが明けたらやりたいな」ということを書きとめておくだけでも、すごく有意義な時間の使い方なんじゃないかと思います。
医療従事者は熱い人が多いです。何でその道を目指したかと聞くと、教授レベルのお医者さんからも熱い経験が返ってきます。診断とか治療のみならず、上流への意識とか背景にある価値観や経験とか、そういう自分語りをしてくれる人とつながるのも価値観を深める上ですごくいいことだと思います。今、みんなの頭はキャンバスみたいに真っ白だと思うから、いろんな価値観を取り入れていくといいと思います。
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