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このように私は多くの医療福祉従事者と医療機器のおかげで生きることができています。では、ここに至るまでどのように心の変容があったのかをお話ししようと思います。
<ALSの4つの壁①>
診断、絶望、そして死を考える日々
私がASLを発症したのは2011年頃だと思います。足からの発症で、よく足がつり、左足の指に力が入らなかったことを覚えています。しかし2011年夏より東北に被災地のボランティアに入っており、訪問診療をして休みが取れれば東北に行く毎日で、足のことは気にもとめていませんでした。
2012年になると左足を完全に引きずるようになり、訪問診療にも支障が出るようになりました。もともと椎間板ヘルニアの持病があったため、それが原因だと思って整形外科を受診し、治療を始めました。ですが一向に症状が良くならず、どうしたものかと困惑していました。
2013年には左足全体に力が入らなくなり、杖をついて訪問診療を回っていましたが、時々転倒することもありました。春先に右足の違和感を感じ、これはおかしいと感じながら、訪問しないと患者さんが困るため、だましだましやっていました。年末になるといよいよ階段も上れなくなり、訪問診療をやめました。
2014年には車いすとなり、老健の施設長として働くことになりました。2月に脊髄脊椎外科に診てもらうと入院して精査すべきといわれ、3月に亀田総合病院に入院し、最終的にALSの可能性が高いと診断されました。しかし検査で決定的な結果は出ていなかったため、私は誤診だと思っていました。老健の施設長を続けていましたが、手は問題なく動いていたため医師として働けることに喜びを感じていました。でも病魔はいやおうなく襲ってきました。
秋になった頃、両手に力が入らなくなり、聴診器を持てなくなりました。そこで再び精査をするために東京都立神経病院に入院しました。初めてそのときALSだと自覚しました。医師も辞めました。すべてに絶望しました。2016年の半年以上は生きた屍のような毎日でした。いつ死のうかと考える日々でした。
しかし嫌々ながらも6月末に行われたALS協会千葉県支部の総会に参加し、酒井ひとみさんの講演を聞き、何かが自分の中で変わりました。死を考えてばかりでしたが、酒井さんのように旅行したり遊びに行ったりできるんだと思うと、生きることもそう悪くないなと考え始めました。
そんなとき、訪問診療の医師から八千代市民に向けた講演を依頼され、たった7分の講演でしたが医師として、ALS当事者として全力で話をしました。その日から医師として何かできないかと考えるようになり、無料医療相談を皮切りに講演や新聞取材、被災地支援の再開、そして訪問介護かぼすケア、かぼすケア訪問看護ステーションの開業へと走り続けています。
私は元々訪問診療医として働いていましたので、患者さんのお宅を訪問するのが当たり前でした。今はALSとなり、訪問診療の先生や訪問看護師さんなどに訪問していただいております。人生とは不思議なものですね。おかげさまで毎日楽しく過ごすことができています。
<ALSの4つの壁②>
胃ろう手術の恐怖
しかし、生きる希望が持てるようになったからといって順風満帆なわけではありませんでした。先程の死を考え続けていた時期が第一の壁だとすれば、第二の壁は胃ろうを造設するときでした。胃ろうを造設するときには、胃カメラを使用します。そのため呼吸機能がしっかりしていないと危険な手術となってしまいます。私は足から症状が始まり、ゆっくりと進行してきたため、今振り返れば少し油断があったと思います。
その頃すでにバイパップというマスクタイプの人工呼吸器を使用してはいましたが、まだ大丈夫だと思っていたら、あっという間に呼吸機能が落ち、食事をとるのも困難になり、体重は10 ㎏も落ちてしまいました。そこで急遽、胃ろうを造設することになったのですが、呼吸機能はすでに50%を下回っており、バイパップを使用しながらの手術が決まりました。胃ろうの手術は本来簡単なものといわれています。しかし呼吸機能が落ちている中での手術はとても恐怖でした。
<ALSの4つの壁③>
人工呼吸器装着のための気管切開手術を拒否
胃ろうの手術はトラブルもなく無事に終わりました。胃ろうから栄養が摂れるようになり、あっという間に10 ㎏リバウンドしました。しかし、呼吸機能が回復するわけではなく、バイパップを使用していても脈は1分間に130回以上が当たり前となり、時には160回を超えることもあったため、ついに年貢の納めどきがきたと思いました。このとき第三の壁が立ちはだかりました。
皆さんは呼吸が苦しくなれば助けを求めるのが当たり前だと思うかもしれません。しかし呼吸苦の苦しみはとてつもなく辛いんです。喉に穴を開け人工呼吸器を装着すれば楽だと分かってはいますが、やはり付けたくないという思いが強く、さらにこれでもかと呼吸苦で苦しめられていますから、精神的にはもうこんな苦しみを味わうのはたくさんだとマイナス思考に引きずり込まれました。
私は予定されていた気管切開の手術を目の前にして、手術しないと方針転換しました。周りの人々は大混乱したと思います。特に妻はなんとかしなければと思ってくれ、東京都立神経病院の川田先生と本間先生に助けを求めてくれました。お2人はお忙しい中にもかかわらず、わざわざ我が家にまで来てくださり、私の手を握りながら「太田先生には生きてほしい。これからも講演や被災地支援を続けて苦しむ人々の力になってほしい」と何度もいってくださいました。とてもありがたかったです。
おかげさまで手術を受け、呼吸は人工呼吸器のおかげでとても楽になり、脈も一気に1分間に70回程度まで落ちました。そうなると、なぜもっと早く手術しなかったんだろうと思うわけです。不思議なものですね。
<ALSの4つの壁④>
情動静止困難という最大の壁
第三の壁で終わりだと思っていました。第四の壁はとてつもなく大きく、予想外のものでした。2018年は激動の1年でした。
第2回心のケアシンポジウムの開催、宮城県南三陸町への被災地支援を夏に開催するため、忙しい日々が続き、NPO法人Smile and Hopeの仲間たちに強く当たるようになっていました。
もちろん被災地支援の後に喉頭分離という大きな手術を控えていたからかもしれません。声を完全に失うことは、覚悟を決めているとはいえ、心が恐怖感で支配されていたことは間違いなかったでしょう。しかし、術後も感情のコントロールはきかず、怒りがつのればずっとおさまらず、感動すれば涙がずっと止まらない状態でした。
これこそがALS特有の「情動静止困難」という症状であり、乗り越えなければならない最大の壁でした。大事なのは怒りの気持ちを抑えることです。私の場合、怒りは感情を高ぶらせ全身の痒みを引き出しました。痒みが引くまで数時間もかかり、まさに地獄です。これが毎日続き、体力をどんどん失い、寝ているか痒みと格闘しているかの日々が繰り返されました。これを脱するには自分で感情をコントロールするしかありません。私は無の境地を目指し、頭を空っぽにする訓練をしました。そして考えるときには家族や仲間との楽しい思い出を頭に思い浮かべるようにして、怒りを出さないことに努めました。
このときは情動静止困難により妻や仲間にたくさん迷惑をかけてしまいました。
介護とは本当に大変なものだと思います。訪問診療医としてALSの患者さんを何人も診てきました。看取りもしました。でも何もわかってなかったと後悔しかありません。患者さんたちを外に出してあげたかったです。あまちゃんでしたね。だから今講演などでALSの啓蒙に努めています。
また、まだまだ制度が生かされていないと痛感しています。重度訪問介護の時間数は地域格差があったり、発電機や蓄電池の助成がまちまちであったりと不完全な状況にあります。そこは各自治体や国に訴えていきます。
私のALS当事者として心の変容を話させていただきました。私は家族と仲間の支えもあり、4つの大きな壁を乗り越えることができました。数ヵ月かかりましたが、今は克服し、とても楽しく笑顔で過ごせています。活力がみなぎり、NPO法人の活動に全力を注いでいます。
ALSになってわかったことを生かして
では、どのような活動をしているか、紹介させていただきます。
私は自分の経験に基づき、患者さんの心理や病状を理解し、真に患者さんに寄り添える介護士を増やすべく、2019年4月より訪問介護かぼすケアを開業しました。患者さんやご家族、そこで働く医療福祉従事者が安心して過ごせるように訪問診療医だった私、20年地域で従事してきたベテラン訪問介護士、そして訪問看護師3名の経験と知識を活かした今までにない事業所を作りました。福祉に医療を融合させ医療特化型介護士の育成に力を注いでいます。誰もが安心して暮らせる社会となるよう貢献していきます。
訪問介護かぼすケアの理念は3つあります。1つ目は、先程の「医療特化型介護士」の育成です。ヘルパーさんたちは1人でケアに入らなければなりませんが、吸引や胃ろう等の医療的ケアを行うことや緊急時の対応にとても恐怖心を抱いています。そのため月に一度研修会を行い、聴診器やアンビューバックの使用方法、緊急時の対応方法について知識と技術のスキルアップを行っています。
2つ目は、障害のあるお子さんや、そのご家族の手助けをすることです。自宅では呼吸器など医療的ケアが必要なお子さんがたくさん暮らしています。その子供たちと一緒に遊んだり、お留守番をしたり、お母さんたちの手伝いをしています。
3つ目は様々なコミュニケーション方法の確立です。我々は目と目で会話ができる「wアイクロストーク」を開発しました。これは災害時でも、パソコンや文字盤を必要とせず、何もない状態で会話ができるもので、希望者には研修会を行っています。
2020年10月に開業したかぼすケア訪問看護ステーションの理念は、医療福祉の弱点である重度障害者や障害児、精神に特化したケアを行うことです。また、このステーションは訪問介護とミックスしたハイブリッド型の事業所でもあります。看護師やリハスタッフも長時間ヘルパーとして入り、患者さんの生活を理解し、ご家族との関係も深めて、医療と福祉を融合させた高度なケアを提供しています。
このほかNPO法人Smile and Hopeの活動として、私の病気であるALSの啓蒙はもちろん、NPO法人の活動を多くの方々に伝えています。私のように難病は突然発症するため、患者さんやご家族は不安でいっぱいです。なのでメール等はもちろん、直接お会いして無料医療相談をしています。2016年6月より福祉有償運送を開始しました。患者さんの通院や外出のお手伝いを格安でさせていただいています。少しでも外に出られるようにと考えてのことです。
喀痰吸引等第3号研修はヘルパーさんが受ける研修で、私たちのように吸引や経管栄養が必要な人のケアに入るために必要なのですが、この第3号研修は料金が高く、それがこの研修を受ける人を少なくしている原因のひとつとなっています。そこで基本研修などはもちろん、喀痰吸引や経管栄養の実地研修も格安で行い、普及するよう努力しています。
音楽は患者さんを癒し、元気をくれます。そこで地域でお世話になっている音楽ボランティアの方と協力し、在宅での音楽療法を開始しています。
私は、東日本大震災が起きた2011年より、東北の被災地にボランティアに行っていました。大分大学時代に作った医療福祉系サークル「かぼすの会」の学生やOBとともに何度も足を運びました。そんな中、熊本や東北を訪れたことで感じることがあります。それは、被災された方々は事実を受け止め故郷の復興に尽力されていること、そして私たちに大災害時の状況を教えてくださり、いざというときの対処法を学ばせていただけるということです。
つまりそれは、私たちが支援をしているのではなく、私たちこそが支援されているということです。だから私たちは被災地支援という言い方をやめ、「熊本交流会」「東北交流会」と名前を変え、引き続き活動させていただきます。
また、私のような重度障害者でも災害時に避難できるよう、災害時特殊避難セルフマニュアルを作成しました。それに基づき、災害時特殊避難訓練を行っています。災害はいつ自分の身に降りかかるかわからないため、実際に体験し、備えにつなげるというのはとても大切な学びだと思います。
11月15日に第4回心のケアシンポジウムをzoomにより開催しました。京都で起きたALS患者さんの嘱託殺人事件がきっかけとなり、最新の医療福祉の情報や自宅で暮らす方法、災害対策の講演、そして重度障害のある方々に生きる意味を問うメッセージを伝えていただきました。マスコミが12社参加し、参加者は全国から150名、その大半が苦しんでいる当事者でした。今、500人を超える相談がきています。
医師を目指す皆さんへのメッセージ
最後に皆さんに伝えたいことがあります。
福祉に明るい医師となってください。
患者さんの苦しみを知ってください。
今無料医療相談でよくいわれるのが、ALSなどの重度になると医師が自宅での暮らし方や使える制度を教えてくれなかったということです。それどころか人工呼吸器はお金持ちしか付けられない、施設で寝たきりの生活になるなど、間違った情報を話す医師までいます。
希望を奪わないでください。
私は自宅で暮らし、仕事もし、被災地にはバスや飛行機で行っています。自由に生きられるんです。当事業所の患者さんにはひとり暮らしのALSの方もいます。事実を伝えてください。私は病院にいたときは、難病患者さんや重度障がいのある方への視点が欠けていました。皆さんが思う以上に苦しんでいる方、もっというならば、医師には恐れ多くてとても相談できないという方が多いです。
皆さんは医師を目指しています。医師とはどんな存在であるべきだと思いますか?私はね、学生時代から医師は決して特別な存在であってはいけない。医療福祉従事者のチームの一員であり、チームのリーダーとしてみんなを安心させられる存在であるべきだと考えてきました。多職種を理解し、ともにチームを作り上げるには医学だけでなく高いコミュニケーション能力も求められます。だからこそ学生時代に多職種の研修やお話を聞いてください。
そして患者さんの気持ちに寄り添えるようボランティアなど積極的に参加してください。我々が行っている東北ボランティアツアーはもちろん、訪問介護かぼすケアやかぼすケア訪問看護ステーションでの研修も参加してみてください。教科書にはない学びがたくさんあります。
どんなにテストで良い点を取れても、人間性を高められるのは人との出会いやボランティアを通した心の触れ合いなんです。6年もあるのではなく、6年しかないんです。チャンスを掴める人になってください。そして患者さんの不安を一緒に取り除ける医師になってください。医師だからこそ、希望の光を灯してください。
ご清聴ありがとうございました。
またお会いできるのを楽しみにしております。
生きててよかった~♪ は、は、は、は
太田先生へのQ&A
視線は心に。心を読むのも医師の仕事だね
Q.患者さんを診るときと実際に自分が患者さんになったときに感じる感情はどのように異なりましたか?
A.視点は正反対です。患者さんの視点を学ぶのは大変ですね。
Q.私も大学で病気を学んで患者さんを実際に診ていく中で、「こんな病気になりたくないな」「でもまさか自分は大丈夫だろう」という気持ちになったことが正直何回かあります。
ALSというのもそのうちのひとつでした。医療者は、自分が患者さんになるのは難しいからこそ病気を理解して寄り添うのは簡単ではないと感じています。先生はALSという病気を発症してから病気というものに対してどのような捉え方の変化がありましたでしょうか?
A.僕も医者になってから病気と向き合うことが多くなった気がします。でもALSになってからは心と向き合っています。患者さんは病気で決していい気分ではないよね。だから不安や恐怖と闘っています。視線は病気よりも心にないといけないね。
Q.患者さんが「死にたい」と言ったときにどのような声をかければ生きる希望を持ってもらえるでしょうか?
A.大事なのは言葉をそのまま受け取らず、本当の患者さんの心を見ることです。先日、無料医療相談を受けた方は、最後まで気管切開を悩んでいました。
でも私たちはその人が「生きたい」と思っていることに気付いていました。だから懸命に説得して気管切開を受けることになりました。
今はニコニコと笑って、しかもスピーチカニューレを使って話もしています。家族が泣きながら「生きていてくれたから今の笑顔がある」と言ってくれたのが印象的です。心を読むのも医師の仕事だね。
Q.講演の中ではリフトの利用や目線による会話など、訓練が必要と思われる手法が紹介されていましたが、そういった苦労はやはりあったのでしょうか。また、どういう思いで行っておられたのでしょうか?
A.リフトやカフアシストなどは、医療福祉従事者はかなり勉強が必要だね。
wアイクロストークは本当に苦しい中で作り出しました。これは話せなくなる恐怖があったからこそできたとも思っています。やっぱり人は追い込まれると力が出る。みんなで一緒にいろいろ学ぶのは楽しいよ。その時は苦しいですけどね。