アンドラゴジー

ノールズは、アンドラゴジーを「おとなの学習を援助する技術と科学」と定義し、最初はアンドラゴジーとペダゴジー(子どもを教える技術と科学)とをはっきり区別した。二十年ほど前にはペダゴジーとアンドラゴジーを対立する方法とみなし、「ペダゴジー対アンドラゴジー」について書いたのである。彼は、ペダゴジー・モデルでは、学習についての決定に全責任が与えられているのは教師であり、学習者は教師の教えに従うという依存的な役割を担うものと考えていた。ごく最近では、ノールズは、ペダゴジーとアンドラゴジーとを連続したものとしてとらえようとしている。彼の著書『成人教育の現代的実践』の副題は、新しい版(1980)では「ペダゴジー対アンドラゴジー」から「ペダゴジーからアンドラゴジーへ」と変わっている。 アンドラゴジー・モデルでは、いくつかの前提をもとにしている。

おとなは自己決定的である。ノールズは、この前提に含まれる意味を5点指摘している。
●学習の雰囲気は、自分は受容され尊重され支持されているのだとおとなに感じさせるものであるべきであり、「教師と学生とのあいだに共同探究者としての相互性の精神」が存在すべきである。
●学習ニーズの自己診断プロセスに学習者がかかわることを重視すべきである。●学習者は、教師から学習の進め方や学習内容に関する情報を受けながら、自分自身の学習を計画するプロセスにかかわるべきである。
●教育・学習のプロセスは、学習と教師の共同責任であり、「教師」は教授者というよりはむしろ情報提供者や学習のつなぎ役になる。
●学習者は、自分たちの進歩の証拠を自分たちで得る手助けを教師にしてもらいながら、自己評価をおこなうべきである。「おとなにとっては、ほかのおとなに判断されることほど自分が子どもであると感じることはない。それは、ほかの人に判断される場合に経験するように、尊重していないことと依存していることという究極のサインになるからである」

おとなは多くの多様な経験をしている。おとなの経験の量と多様性は、実践にとって三つの意味をもっている。
●学習者の経験を引き出すために、参加体験型の技術が用いられるべきである。
●学習者が、自分たちの学習を日々のくらしにどのように応用するかを計画するよう準備されるべきである。
●学習者が自分の経験を客観的に眺め、そこから「学び方を学ぶ」のを支援する活動を組み入れるべきである。

おとなは発達上の移行期にいるときに、いっそうすすんで学習する。この考え方には、少なくとも二つの意味がある。
●カリキュラムは、主催する教育機関のニーズよりも、むしろ一人ひとりの実際生活の関心事に応えるように組まれるべきである。
●学習者をグループに分けるときには、発達のレディネス(あるいは課題)という概念を考慮すべきである。同質のグループで学ぶほうが効果的な学習もあれば、異質のグループのほうが好ましい学習もある。

おとなは問題中心的もしくは作業中心的な学習を好む。ここでもまたいくつかの意味が引き出される。
●教育者は、一人ひとりの関心事に合わせなければならないし、これらの関心事に合った学習経験を展開させなければならない。
●おとなの学習を系統的に組織する適切な原則は、科目ではなく課題領域に従うことである。
●成人教育の講座の開始時には、自分がより適切に扱うことができるようになりたいと思う特定の問題を、参加者が確かめられるような作業をすべきである。