東京民医連

輝け看護!

みんいれんTOKYO(機関紙)の「輝け看護!」コーナーから

「ここ(家)で死にたい」の願いに応え

 「住み慣れたここ(家)で死にたい」それが余命2カ月と宣告された上で、自宅で過ごすことを最期まで貫いた彼の意志でした。
 彼は66歳、独居。生活保護受給、未婚で子どももなく、身寄りは遠方に住む兄弟のみ。18歳で上京、大学を中退したあとは職を転々とします。54歳で胃 がんの手術を受け、橋場の現住所で生活保護を開始され、日雇いの仕事をしながら一人で暮らしていました。
 昨年10月、区の健診を当診療所でおこなった際に貧血を指摘され、即日東京健生病院へ入院、残胃がん終末期と診断されました。「どうせ死ぬのなら病院で は死にたくない。自宅に帰りたい」と、担当医がすすめた化学療法を拒否し、自主退院されました。
 家に帰って生活を始めたのですが、重度の通過障害のため、食事はのどを通らず、食べた物はすべて嘔吐。体力もなくなり、依頼があって往診を開始したのは、退院から2週間後でした。
 初回往診時に、今後もどんどん病状は進むこと、訪問看護や介護の手助けが必要なことを説明し、在宅で闘病を続ける覚悟を確認しました。あわせてケアマネ が生活面のサポートのために動きだしました。原則認められない暫定的な介護サービスを導入してもらうよう生活保護課と交渉し、地域包括支援センターにも バックアップを依頼。
 連日の訪問看護で、中心静脈栄養療法の手技指導と病状管理をおこないました。彼は慣れない手技をこなし、嘔吐するとわかっていながら、「美味しい物が食 べたい」と、アイスクリームや寿司を口にします。病気の辛さから暴言を吐いたり、勝手に外出してみたり、泥酔していたこともありましたが、主治医には絶対 の信頼をおき、看護師とも少しずつ信頼関係ができてきました。
 年末年始も休まず訪問しました。1月に入ってからは衰弱により、ほとんど動けなくなりました。2月中旬の朝、意識が低下しているところをヘルパーが発 見。看護師、主治医に連絡が入り、それぞれが交代で看守りました。夜11時に主治医が訪問し、もうろうとした意識の彼に話かけながら一晩付き添い、翌日の 昼には看護師に手を握られて永眠されました。知らせを受けた兄も遠くから駆け付けました。
 亡くなる少し前に尋ねました。「一人で淋しくないですか」「こうやってみんなが来てくれて家がいい。家でよかった」と静かに答えてくれました。
(竜泉協立診療所・2010年5月号掲載)